殉教 日本キリシタン史
1984年 主婦の友社 文・遠藤周作、松田毅一イタリア、日本国内の殉教者の足跡。殉教者の信仰に迫っていく。
受賞内容
- 1985年
- 「殉教」 日本写真家協会年度賞
撮影後記より
殉教者とは刑死を覚悟して踏絵を踏まず、キリストにならい、苦難に打ち勝った信仰の勇者であると、私は長い間考えていた。この考え方は間違っていなかったが、それなら戦国の勇者が信仰の世界に身をおいたのと本質的になんら異なっていないのではないかという疑問がわいてきた。
この疑問に答えのないまま、殉教者の跡を尋ねる旅をつづけた。日本国内は屋久島、五島列島から北海道まで、海外はマカオ、ローマ、アッシジに旅をした。私にとって、この旅は短い時間の実感しかなかったが、重い旅であった。記録にある殉教者のだれを選択するか、当時の姿はどこが忠実に残っているか、人間の当為として信仰生活のあるところに文化を生むが、いわゆる「キリシタンの世紀」の文化とは何か、殉教者の遺品はどこにあるのか、資料の収集と選択に追われ、殉教者の信仰内容について考察することをいつしか忘れ去っていた。
アッシジの聖者の御堂を訪ねたとき、私は深い感動にとらわれた。愛される人になるよりも、愛する人になることを祈った聖フランシスコの信仰こそ、苦難に耐え、死を恐れない殉教者の心ではないだろうか。愛が殉教したのである。殉教者の本質は勇者ではない。愛に生き、そして死んだ人ではなかろうか。私はやっと答えが得られたと思った。今なぜ「殉教」なのか、私にとって殉教は過ぎ去った歴史ではなく、心のテーゼである。
私は「心の踏絵」を踏んで、しかるべく理由をつけて生きている。